2014年02月22日

前作を振り返る その9 恋愛



 『なだらかな戦線』に無くて『帰り道のない』には有る要素もたくさんあるはずですが、特に大きなものとしては恋愛があります。

 今の世の中、恋愛を描く作品は掃いて捨てるほどありますが、そのほぼ全てが恋愛を肯定する前提で作られています。たとえ失恋の苦しみを主たるモチーフとする作品でも、その前提は「恋愛は価値あるものだ」ということになっています。失恋が辛く苦しいのは恋愛という「価値あるもの」の喪失だから、というわけです。

 今の世の中で恋愛が「価値あるもの」とされているのは、近代社会の根の一つに、恋愛というものを人間を前近代的関係という桎梏から解放し、個人として自立した存在になるための契機として称揚する思考があるからです。もちろん、そのような歴史的な事情はほとんどの人が意識していません。無意識に継承しているからこそ疑わないのです。

 一方、能の中には恋愛は罪悪だという前提で書かれている作品がたくさんあります。中世の人々は仏教の影響をたっぷり受けています。仏教では恋愛は妄執であり、悟りの妨げとなる罪障だとされているのです。

 もしも中世において恋愛を「人間を桎梏から解放する、価値あるもの」として描いたら、たいていの人は理解できなかったでしょう。反対に、今の世の中で恋愛を「悟りの妨げとなる罪障」として描いたら、確実に「変人」扱いです。客観的に見れば、どちらも同じくらい偏向しているのですが。

 それでも、恋愛に関しては、今とは異質な時代の異質な思考を参照することで相対化できるから、まだましです。核の平和利用やバイオテクノロジーには、今とは異質な時代の異質な思考など存在しません。今この社会の中に対立する言説が共存していますが、対立が生々しいから、両方を並べたところで相対化などできません。そもそも激烈な対立は、同じ土俵の中で起こります。違う土俵が見えないから、問題を相対化する視点が持てないのです。

 時代の制約からは誰も逃れられないのですから、私が逃れられるはずもありませんが、自分の創作がその場限りの説得力で終わってしまうのは、どうにも我慢ならないものがあります。そういう事態をなるべく回避しようと思ったら、時代の制約がなるべく及ばない題材を選べばよいのですが、私に言わせれば、それは逃げの戦略であり、事実上の不戦敗です。

 今回恋愛というモチーフを取り入れたのは、原発と経済競争だけを対象にして相対化を図っても必ず行き詰まると思ったからでした。原発よりは相対化しやすいモチーフも入れておく方が、構想の柔軟性が高まり、ひいては原発と経済競争を相対化するすべも見出しやすくなるのではないかと期待したのです。そして、この期待は実現できたと自分では思っています。恋愛への固執は悲劇的にも喜劇的にも描けるものですが、『帰り道のない』ではその両面性を「多利羅理卵」の開発と使用に結び付けることにより、原発と経済競争を悲劇的でもあり喜劇的でもあるものとして描くことができたと思うのです。


posted by TACO at 22:05 | 愛知 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 次回公演までの道のり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここへ至っていまさら、アンナはダンに恋していたのかと驚きました。
ウルトラマンを見てなかったからモチーフに気がつけなかったのかも。
そういえばデートしたとか言ってましたっけ。
ダンはアンナに無関心そうに見えるのにセクシュアルな存在とみなしているんだな〜と公演のときに思ったことは覚えています。
相手をセクシュアルな存在に思うことイコール恋愛、である意味了解がとれている近代。そう思えば問題の相対化として用いたという恋愛のモチーフの位置づけ納得がいきます。
Posted by あしか at 2014年02月23日 14:03
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