2017年08月19日

9月にも公演

「ジェンダー・ダイバーシティ表現演習」成果発表公演
9月2日(土)15:00〜
ナビロフト
無料

詳細情報http://www.aasa.ac.jp/institution/igws/info/index.html

ご予約https://www.quartet-online.net/ticket/candyscramble

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 この公演は愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所が「ジェンダー・ダイバーシティ」プログラムの一環として開設するジェンダー・ダイバーシティ表現演習という授業の成果を発表するものです。
 ジェンダーとは社会的文化的に形成された「男らしさ」「女らしさ」の総称です。ジェンダーは個人の意志を超越しつつ個人に内在化した規範として、特定の性別に特定の役割・思考・行動を要求しますので、それに十分適合できない場合には、他人から蔑みの目で見られがちであるばかりか、本人も劣等感を抱くことになりがちです。そしてジェンダー・ダイバーシティとは、性別に関する規範に捕らわれず、多様性を尊重することを意味します。
 この授業では、参加者が相互啓発的な関係を築いてジェンダー・ダイバーシティの共通理解を深め、舞台作品を創造して観客とその理解を共有することを目標としています。
 私たちの研鑽の成果をぜひその目でお確かめください。

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2017年06月07日

公演チラシが出来ました!

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空宙玩具第5回公演
『別物語』

 突然ですが、人間の性愛って、どうしてこんなにややこしいんでしょう?「新たな生命を生み出す尊い営み」とか言われて神聖視されるのに、その行為や器官を直接的に描けば「猥褻」と卑しまれてしまいます。そうやってタブー化されて日の当たらない所に隠されているかと思えば、結婚とか出産とかは「晴れ」、つまり直射日光ガンガンだという……。しかも、タブーにも二面性があって、性産業とかポルノ・コンテンツとか、「日陰の花」が卑しまれつつ盛大に咲き誇っていたり……。どうして人間の性愛って、こんなにねじれた社会化をされるんでしょう? それが全部社会のせいならともかく、自分の中にもねじれの根っこがある気がするので何ともはや。
 今回はそんなモヤモヤを形にするべく台本を書きました。そして、演出は小熊ひでじさんにお願いしました。外部から演出家をお招きするのは、空宙玩具初の試みとなります。
 いったいどんな上演に仕上げるか、私も楽しみです。ぜひ劇場に足をお運びください。

空宙玩具代表 角田達朗


日程
7月28日(金)19:30〜
7月29日(土)14:00〜/19:00
7月30日(日)14:00〜

会場:ナビロフト
(〒468?0052 名古屋市天白区井口二丁目902)
◎名古屋市営地下鉄鶴舞線「原駅」より徒歩8分
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チケット料金
前売/一般:1,800円・学生:1,500円
当日/一般:2,000円・学生:1,500円

出演
山内綾鷹(空宙玩具)
藤由依雛(電光石火一発座)
大脇ぱんだ(劇団B級遊撃隊)
羽多野卓(巣山プロダクション)
藤島えり子(room16)
久蓮石 映次(電光石火一発座)


作:角田達朗
演出:小熊ヒデジ(てんぷくプロ)
演出助手:66男爵(劇団わるふざけ)
舞台監督・装置:柴田頼克(かすがい創造庫/電光石火一発座)
照明:高山皐月(高山一族) 
音響:馬場祥(牛乳地獄)
制作:今井絢子(マイマイカーニバル) 山内崇裕
衣装:トロロコンブシメサバ
メインビジュアル:川崎寛史(studio4096)
映像撮影:Ritter

参考文献
如月小春「ANOTHER」(『如月小春戯曲集』新宿書房 1982年6月15日)
佐伯順子『遊女の文化史 ハレの女たち』(中央公論社 1987年10月25日)
田野大輔『愛と欲望のナチズム』(講談社 2012年9月10日)
こだま『夫のちんぽが入らない』(扶桑社 2017年1月16日)
平成27年5月14日安倍内閣総理大臣記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0514kaiken.html
平成27年9月25日安倍内閣総理大臣記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0925kaiken.html
平成28年6月1日安倍内閣総理大臣記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2016/0601kaiken.html

posted by TACO at 09:34 | 愛知 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 公演までの道のり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

新作/旧作

 7月の公演の台本、書き上げました。この先まだ、参加者の意見を聴いて直すことはあり得ますが、とりあえず独力でできることはやり尽くした感じです。

 今回のモチーフはズバリ性愛です。前回公演『擬態 MODOKI』のモチーフは同性愛(のようなもの)でしたから、「同」と「(のようなもの)」を取っちゃった形です。

 人間の性愛って、ややこしい。そして、それは人間が社会というものを構成することのややこしさとも通じるものだと思うのです。

 性愛は「新たな生命を生み出す尊い営み」というふうに神聖視されるのに、その行為や器官を直接的に描けば「猥褻」と卑しまれてしまいます。そんなふうにタブー化されて日の当たらない所に隠されているとか思えば、結婚とか出産とかになると「晴れ」、つまり直射日光ガンガンになる。

 しかも、タブーというものにも両面性があるというか、性産業とかポルノ・コンテンツとかが卑しまれつつ盛大に「日陰の花」を咲かせていたりする。どうして人間の性愛ってこんなふうにねじれた社会化をされるんでしょう。とても不思議です。

 今回の台本は、こういう性愛の不思議なややこしさをどうやって具象化するかということを主眼にしているので、「わかりにくさを厭わない」という方針で書きました。

 振り返ってみると、前作『擬態』はTACO史上一番わかりやすい作品だったと思います。明快なストーリーに「差別はいけません」的なメッセージもついてるし。だけど、「そもそも世界ってそんなにわかりやすいものじゃないだろ」っていうツッコミはあり得ます。

 前作では、性愛における差別というものを主題化するに当たって、二つのアプローチを採用しました。

 一つは、同性愛だろうが異性愛だろうが性愛であるという相対化。もう一つが、差別の醜さ・理不尽さの剔出。

 「同性愛だろうが異性愛だろうが性愛である」というのは、こういうふうに理屈で書いてしまえば単純なことのように思えるかもしれませんが、理屈を言わずに具体的な描写を通して表現するのは、なかなか難しいことでした。

 トランスジェンダーという要素を取り入れたり、私自身の中で「自分にとって性愛とは何か」を掘り下げて、それを作中に反映させたりと、いろいろ試みました。

 しかし、トランスジェンダーという要素は、その知識がない人にはわかりづらいものかもしれませんし、私自身の中での掘り下げもまた、私とはまるで異なる性愛観を持っている方にはピンと来づらかったかもしれません。

 それに比べて、差別の醜さ・理不尽さっていうのは、可視化しやすいし、言説としても通用しているものなので、総じてわかりやすくてインパクトも強かったと思うのです。

 その結果、どちらも性愛であるという相対化の方が、ちょっと隠れがちになってしまったのではないかというのが、反省点だったりします。

 決して前作が意図的にわかりにくさを回避していたわけではないのですが、そういう反省も踏まえ、今回は「わかりにくさを厭わない」と肝に銘じて書きました。ややこしいものはややこしいものとして、そのややこしさをいかに表現するかを第一に考えたということでもあります。

 さて、お客様の目にはどのように映りますことか。今から心配だったり楽しみだったりしています。

posted by TACO at 13:01 | 愛知 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 公演までの道のり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月01日

相変わらずの二枚舌

 2008年6月、国連人権理事会はLGBT差別を撤廃する措置を講じるよう日本政府に勧告し、政府は受け入れています。同10月、国連の自由権規約委員会は日本政府に対し、LGBT差別に懸念を表明しました。同12月、「人権と性的指向と性的自認に関する声明」が国連総会に提出され、日本政府も賛同しました。

 2008年の日本政府は今と同じく自公連立政権です。

 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙に際し、「レインボープライド愛媛」が各政党に対して行った「性的マイノリティに関するアンケート」で、自民党は「人権問題として同性愛者や性同一性障害者らの性的少数者について取り組んでいくことをどう思われますか?」という問いに「人権問題として取り組まなくてよい」、「性的少数者の人権を守る施策の必要性について」という問いには「性同一性障害者への施策は必要だが、同性愛者へは必要がない」と回答しました。

 2014年の第47回衆議院議員総選挙に際し同団体が行ったアンケートでも、自民党は同じ回答をしています。

 2016年4月27日、自民党の「性的指向・性自認に関する特命委員会」はLGBTなどの性的マイノリティへの差別解消に関する党の基本方針をまとめました。

 パートナーシップ制度ですら「慎重な検討が必要」、同性婚は認めない。罰則無し。罰則規定のある法案骨子を既にまとめている民進党と修正協議する気がないと明言。・・・・というわけで、なるべく現状を変えたくないのが本音と思われます。

 その基本方針にいわく、「まず目指すべきは、カムアウトできる社会ではなくカムアウトする必要のない、互いに自然に受け入れられる社会の実現を図ること」「性的指向・性自認の多様なあり方をお互いに受け止め合う社会を目指す」と。

 そもそも「カムアウトできる社会」を実現することなく、カムアウトしづらい社会のまま一足飛びに「性的指向・性自認の多様なあり方をお互いに受け止め合う社会」に移行できますか?

 カムアウトしたくない人はしなくていいのです。でも、性的指向・性自認を堂々と語れずに沈黙を余儀なくされることが「自然に受け入れられる」ことではないでしょう。

 おそらくかの政党は昨今の自治体等の動向からLGBT票を無視できないと踏んで、LGBTの一部(「埋没」できていて、またはできていると思っていて、現状を甘受している人々)を取り込もうと企てたのでしょうね。選挙対策のためにLGBTの分断を図っているとも言えると思います。

 所詮選挙対策ですから、選挙が終わればどこ吹く風。かの政党が選挙公約に「TTP反対」を謳い、「聖域堅持」の国会決議にも賛同しておきながら、あっさり「聖域」を放棄したことを忘れてはなりません。

posted by TACO at 10:04 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 公演までの道のり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

『ジェンダー・マリアージュ』

 今池のシネマテークで見てきました。「同性婚禁止の違憲性」をめぐる裁判を追い続けたドキュメンタリーです。カリフォルニア州で一旦認められた同性婚が、住民投票の結果再び禁止されたのに対して、二組の同性カップルが訴訟を起こし、ついには合衆国最高裁判所で勝訴します。

 同性婚禁止の違憲性が確定するという事態はそれ自体ドラマチックだし、その過程はとても興味深いものです。「人権とは」「差別とは」という原理的問題がそこでは問われているからです。

 しかし、その描き方には物足りなさも感じました。裁判をめぐる情景やインタビューを点描的に重ねるのですが、そのため、禁止賛成派と反対派がどのように主張を闘わせたのか、議論の具体相が断片的にしか見えないのです。

 断片的という表現は、作り手にとっては不本意かもしれません。双方の主張の要点は抽出されています。しかし、禁止反対派の視点での抽出ですから、禁止賛成派の愚かしさが際立つような抽出になっています。

 もちろん私も、禁止反対派の主張は差別的であると思っていますが、とはいえ、結論ありきのような抽出に見えてしまって、それを反駁していく過程に今一つのめり込めない感じがありました。最初から愚かしいものとして提示されると、反駁できて当然と思えてしまうので、現にこう反駁できたということに知的興奮を覚えにくいのです。

 法的係争という事象そのものに備わるドラマは、法廷で主張をぶつけ合うことで法的正当性が明確になる過程にあるはずです。しかし、この映画はそのドラマ性を捉えることができていません。

 裁判そのものを撮影できないというドキュメンタリーならではの制約があったのだとは思います。しかし、裁判記録や裁判のシミュレーションは撮影できているのですから、法的正当性が明確になる過程のドラマ性を捉えられなかった理由は、ほかにもあるはずです。それはおそらく上述の「結論ありきのような抽出」でしょう。

 その意味で、この作品は過程のドラマ性より、結果の記念性の方を向いているもののように思えます。

 もちろんその記念性は、他の国で同性婚についての法整備を求める人々を大いに勇気づけるに違いありません。しかし、そうした人々にとって最も参考になるのも、同性婚に情緒的に反対する者に対して何らかの啓蒙効果を持ち得るのも、結果より過程だと思うのです。

 とはいえ、いろいろと考えさせる所の多い作品ではありました。この訴訟に対して、LGBT団体の中には批判的な所もあったということは意外でしたし、原告のプライバシーが全く保護されていないことにも驚きました。裁判所の前に居並ぶ禁止賛成派と反対派の佇まいや振る舞いの歴然たる相違は、それぞれの主張以上に、人間性の何たるかを如実に物語っていました。

 どんな理由にかこつけようと、他者への嫌悪を公言して憚らない者は、やはり醜悪なのです。

posted by TACO at 02:26 | 愛知 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 公演までの道のり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする