2016年09月19日

関係者ツイート集

















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2015年09月16日

『踊るサテュロス』とカルトの「現実」

 中日マチネのアンケートで、「カルト的なものにもうちょっと現実的につっこんでほしかった」というご意見を頂きました。これについて、作者の考えを説明しておきたいと思います。

 このご意見の趣旨は言い換えれば、『踊るサテュロス』のカルト描写に「現実味」が足りないということになると思います。それでは、その「現実味」とは何か? それは二通り考えられます。

 一つは、オウム真理教のサリン事件のような犯罪行為を描くこと。『踊るサテュロス』はカルト集団の成立過程に焦点化していますから、そういう描写はありません。しかし、それは劇の内容上、そこまで描く必要がないからなので、それを「現実味が足りない」と言われても仕方がありません。

 もう一つは、『踊るサテュロス』が描いているカルト集団の成立過程そのものが「現実的」と思えること。この点については、私なりに「現実的」につっこんだつもりでいます。「現実的」につっこむと、結果的に「非現実的」にならざるをえないのです。

 私たちが非現実的と思うことを現実的だと思うのがカルトのカルトたるゆえんです。「私たち」の「現実」に「カルト的な人々」は「非現実の現実」を「真の現実」として持ち込んできます。そうやって、「私たち」の「現実」を物理的にも心理的にも揺さぶるから、「カルト的なもの」は脅威となります。

 私たちが「非現実的」と思うものが、どのようにして「現実味」を帯びていくのか? そして、それを私自身がどのように認識し、どういうふうに表現できるか? 今回の台本を書くにあたって、ずっと自問し続けました。

 オウム事件の後、あの教団がなぜ数々の凶悪事件を引き起こすに至ったのかを、私たちが「現実的」と思う要素から説明しようとする試みがなされました。例えば、メンバー個々の挫折体験だったり、教団としての挫折体験だったり。

 そこにはそれなりの説得力はありました。でも、私には何かが決定的に不足している感触がありました。その不足を私なりに補うことが、今回の公演の目的の一つでもありました。それを模索する中で辿り着いたのが、カルトの「非現実性」でした。

 私なりのカルト理解は必ずしも十分ではないと思います。ただ、あくまでもその「私なりの理解」の範囲では、カルトの「非現実性」がなぜか「現実化」してしまう奇妙さは、今回かなり「現実的」に描けたと思っています。

posted by TACO at 17:52 | 愛知 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 公演の後に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月25日

アンケートを読みながら

 去年の9月にやった『帰り道のない』のアンケートに「前作より面白かった」という意味のことを書いてくださっているお客様が何名様かいらっしゃいました。

 そういうことを書いてくださるということは前作も観てくださっているということで、それはそれはありがたいことなのでございます。前作の上演は2009年9月ですからね。3年越しでご覧頂いたことになるわけで。

 しかしですね。どちらが面白いかという比較は、申し訳ありませんが、私には全くもってどうでもよいことなのでございます。

 理由は二つあります。

 第一に、何を面白いと感じるかは相当に個人差のあることなので、客観的な基準にはなり得ないということです。「面白い」と言われようと「つまらない」と言われようと、私としては「この方にはそう思えたんだな」としか受け取りようがないのです。

 私は演劇で名声を得たいとか飯が食えるようになりたいというような野心がありませんので、「なるべくたくさんの人が面白いと思えるものを作ろう」なんて全然考えません。ですから、「面白い」とか「つまらない」とかいう感想は参考にならないのです。

 第二に、前作こと『なだらかな戦線』と『帰り道のない』は、似せる所は似せていますけど、目指しているものがまるで違うので、単純に比較できるはずがないのです。

 『なだらかな戦線』は退屈な日常を描くということがモチーフでしたから、基本的に何も起こらない。一般的には「劇的」と思われないような状況を延々続けるという劇でした。要するに、多分に戯画化しつつではありますが、退屈を退屈として描き切るということが目的だったわけです。退屈を退屈として描き切るわけですから、劇そのものが何も起こらない退屈なものになることくらい最初から覚悟の上なのです。

 『帰り道のない』は原発事故という現実の事件を強く意識しつつ、原発というものをめぐる政治と経済を戯画化して描くということが目的の劇でした。多分に戯画化はしましたが事件が題材ですから、何も起こらないどころか、いろいろなことが起こりまくります。当然ながら退屈とは無縁な内容になります。

 対象を戯画化するという所は共通していますが、言い換えれば、そのくらいしか共通点はありません。両者には必然的に退屈である劇と必然的に退屈でない劇という相当に大きな違いがあるわけで、その違いからすれば、『なだらかな戦線』よりも『帰り道のない』を面白いと感じる人がいるのは至極当然。それこそ「想定の範囲内」なのです。

 もちろん退屈というものも人によって感じ方は違うわけですから、『なだらかな戦線』よりも『帰り道のない』の方が退屈だったという人がいても別に不思議はありません。

 私としては、どちらかと言えば『なだらかな戦線』の方が演劇として冒険したという感じがあります。何も起こらないということをいかにして劇として成立させるかということに挑んだわけですから。

 反対に、台本を全部一人で書き切ったという点では『帰り道のない』の方が個人的な苦労は多かったと感じています。執筆期間も半年以上になりましたし、なかなか結末が決まらず改稿を重ねました。いったん書き上がってからも細部の改稿を繰り返しました。その分、台本は『なだらかな戦線』よりも練れていたかもしれません。

 あえて面白いという言葉を使うなら、私としてはどちらの劇も自分にとっては面白い経験だったのです。さらにあえて言えば、自分が感じている面白さをお客様と共有しやすいのは、どちらかと言えば『帰り道のない』だったのかなとは思っています。『なだらかな戦線』に私が感じていた面白さの最たるものは、退屈を退屈として描き切るということの面白さだったのですが、それはややマニアックな面白さだったのかもしれません。

 次回作というものにもいずれ取り組むと思いますが、マニアックに戻すとか戻さないというようなことは全然考えていません。私は今までのところ、その時その時の興味・関心で題材を選んでいますので、方向性を前以て決めることもありません。ただただ自分が面白いと思えるものを作りたいだけなのです。


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2013年01月04日

アンケートを読みながら

 去年の9月にやった『帰り道のない』のアンケートに「前作より面白かった」という意味のことを書いてくださっているお客様が何名様かいらっしゃいました。

 そういうことを書いてくださるということは前作も観てくださっているということで、それはそれはありがたいことなのでございます。前作の上演は2009年9月ですからね。3年越しでご覧頂いたことになるわけで。

 しかしですね。面白いかどうかという比較は、申し訳ありませんが、私には全くもってどうでもよいことなのでございます。

 理由は二つあります。

 第一に、何を面白いと感じるかは相当に個人差のあることなので、客観的な基準にはなり得ないということです。「面白い」と言われようと「つまらない」と言われようと、私としては「この方にはそう思えたんだな」としか受け取りようがないのです。

 私は演劇で名声を得たいとか飯が食えるようになりたいというような野心がありませんので、「なるべくたくさんの人が面白いと思えるものを作ろう」なんて全然考えません。ですから、「面白い」とか「つまらない」とかいう感想は参考にならないのです。

 第二に、前作こと『なだらかな戦線』と『帰り道のない』は、似せる所は似せていますけど、目指しているものがまるで違うので、単純に比較できるはずがないのです。

 『なだらかな戦線』は退屈な日常を描くということがモチーフでしたから、基本的に何も起こらない。一般的には「劇的」と思われないような状況を延々続けるという劇でした。要するに、多分に戯画化しつつではありますが、退屈を退屈として描き切るということが目的だったわけです。退屈を退屈として描き切るわけですから、劇そのものが何も起こらない退屈なものになることくらい最初から覚悟の上なのです。

 『帰り道のない』は原発事故という現実の事件を強く意識しつつ、原発というものをめぐる政治と経済を戯画化して描くということが目的の劇でした。多分に戯画化はしましたが事件が題材ですから、何も起こらないどころか、いろいろなことが起こりまくります。当然ながら退屈とは無縁な内容になります。

 対象を戯画化するという所は共通していますが、言い換えれば、そのくらいしか共通点はありません。両者には必然的に退屈である劇と必然的に退屈でない劇という相当に大きな違いがあるわけで、その違いからすれば、『なだらかな戦線』よりも『帰り道のない』を面白いと感じる人がいるのは至極当然。それこそ「想定の範囲内」なのです。

 もちろん退屈というものも人によって感じ方は違うわけですから、『なだらかな戦線』よりも『帰り道のない』の方が退屈だったという人がいても別に不思議はありません。

 私としては、どちらかと言えば『なだらかな戦線』の方が演劇として冒険したという感じがあります。何も起こらないということをいかにして劇として成立させるかということに挑んだわけですから。

 反対に、台本を全部一人で書き切ったという点では『帰り道のない』の方が個人的な苦労は多かったと感じています。執筆期間も半年以上になりましたし、なかなか結末が決まらず改稿を重ねました。いったん書き上がってからも細部の改稿を繰り返しました。その分、台本は『なだらかな戦線』よりも練れていたかもしれません。

 あえて面白いという言葉を使うなら、私としてはどちらの劇も自分にとっては面白い経験だったのです。さらにあえて言えば、自分が感じている面白さをお客様と共有しやすいのは、どちらかと言えば『帰り道のない』だったのかなとは思っています。『なだらかな戦線』に私が感じていた面白さの最たるものは、退屈を退屈として描き切るということの面白さだったのですが、それはややマニアックな面白さだったのかもしれません。

 私は今のところ、その時その時の興味・関心で題材を選んでいますので、次回作の方向性について特に決めてはいません。マニアックに戻すとか戻さないというようなことは全然考えていません。ただただ自分が面白いと思えるものを作りたいだけなのです。

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2012年12月10日

キミの欲しいものは何ですか?

kotobawanaani1.JPG


あなたが待っていることばはなあに?


kotobawanaani2.JPG
(同前)



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