去年の9月にやった『帰り道のない』のアンケートに「前作より面白かった」という意味のことを書いてくださっているお客様が何名様かいらっしゃいました。
そういうことを書いてくださるということは前作も観てくださっているということで、それはそれはありがたいことなのでございます。前作の上演は2009年9月ですからね。3年越しでご覧頂いたことになるわけで。
しかしですね。どちらが面白いかという比較は、申し訳ありませんが、私には全くもってどうでもよいことなのでございます。
理由は二つあります。
第一に、何を面白いと感じるかは相当に個人差のあることなので、客観的な基準にはなり得ないということです。「面白い」と言われようと「つまらない」と言われようと、私としては「この方にはそう思えたんだな」としか受け取りようがないのです。
私は演劇で名声を得たいとか飯が食えるようになりたいというような野心がありませんので、「なるべくたくさんの人が面白いと思えるものを作ろう」なんて全然考えません。ですから、「面白い」とか「つまらない」とかいう感想は参考にならないのです。
第二に、前作こと『なだらかな戦線』と『帰り道のない』は、似せる所は似せていますけど、目指しているものがまるで違うので、単純に比較できるはずがないのです。
『なだらかな戦線』は退屈な日常を描くということがモチーフでしたから、基本的に何も起こらない。一般的には「劇的」と思われないような状況を延々続けるという劇でした。要するに、多分に戯画化しつつではありますが、退屈を退屈として描き切るということが目的だったわけです。退屈を退屈として描き切るわけですから、劇そのものが何も起こらない退屈なものになることくらい最初から覚悟の上なのです。
『帰り道のない』は原発事故という現実の事件を強く意識しつつ、原発というものをめぐる政治と経済を戯画化して描くということが目的の劇でした。多分に戯画化はしましたが事件が題材ですから、何も起こらないどころか、いろいろなことが起こりまくります。当然ながら退屈とは無縁な内容になります。
対象を戯画化するという所は共通していますが、言い換えれば、そのくらいしか共通点はありません。両者には必然的に退屈である劇と必然的に退屈でない劇という相当に大きな違いがあるわけで、その違いからすれば、『なだらかな戦線』よりも『帰り道のない』を面白いと感じる人がいるのは至極当然。それこそ「想定の範囲内」なのです。
もちろん退屈というものも人によって感じ方は違うわけですから、『なだらかな戦線』よりも『帰り道のない』の方が退屈だったという人がいても別に不思議はありません。
私としては、どちらかと言えば『なだらかな戦線』の方が演劇として冒険したという感じがあります。何も起こらないということをいかにして劇として成立させるかということに挑んだわけですから。
反対に、台本を全部一人で書き切ったという点では『帰り道のない』の方が個人的な苦労は多かったと感じています。執筆期間も半年以上になりましたし、なかなか結末が決まらず改稿を重ねました。いったん書き上がってからも細部の改稿を繰り返しました。その分、台本は『なだらかな戦線』よりも練れていたかもしれません。
あえて面白いという言葉を使うなら、私としてはどちらの劇も自分にとっては面白い経験だったのです。さらにあえて言えば、自分が感じている面白さをお客様と共有しやすいのは、どちらかと言えば『帰り道のない』だったのかなとは思っています。『なだらかな戦線』に私が感じていた面白さの最たるものは、退屈を退屈として描き切るということの面白さだったのですが、それはややマニアックな面白さだったのかもしれません。
次回作というものにもいずれ取り組むと思いますが、マニアックに戻すとか戻さないというようなことは全然考えていません。私は今までのところ、その時その時の興味・関心で題材を選んでいますので、方向性を前以て決めることもありません。ただただ自分が面白いと思えるものを作りたいだけなのです。
posted by TACO at 14:59
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公演の後に
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